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実相寺監督風
実相寺監督は、ウルトラシリーズの名作を手がけています。その映像を私達の世代はよく観ていました。
実相寺監督の演出や映像はとても独特で、暗かったり、赤や青の光が回ったり、下から上からのアングルだったり。
子供心にも印象深いものでした。その独特な映像回がほぽ実相寺監督の作品だったことを知って後々に驚きました。
その中でも体温を感じるような街の映像が忘れがたいですね。
そこで、夕日を逆光にした街の写真で、いくらか実相寺監督風に近づければと・・
ポインターが今でも走っているような情景です。文京区の団子坂辺りです。
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日向ぼっこ
陽だまりに浮かぶを感じてパチリ。谷中散歩の一枚です。
下の写真は画像処理前の撮って出し(ビフォー)です。
撮影時は露出を1/3段マイナス補正していますが、背景の暗さで自動露出が上がって肝心の板猫が露出オーバーですね。全体も平板な印象になりました。そこを露出カーブで撮影時に感じた明暗の印象に近づけています。
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Bоkeh(ボケ)
90mmのマクロレンズです。F13まで絞っていますが、このボケ味です。
写真やレンズのボケに美という味を発見したのは日本人が最初かもしれません。
一つの証明は、写真分野では『bokeh』が外国でちゃんと通じる点。
blurは写真ではマイナスですが、bokeh(ボケ)は味なんです。
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木漏れ日の光景
木漏れ日は、樹や葉の影によって太陽の光や暖かさを表す逆説の表現です。陰影は光のために・・陰翳礼讃ですね。
英語には、この木漏れ日を表す単語はないそうです。明細書では【komorebi】とでも定義しましょう。
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懐古カメラ
古いカメラを昔懐かしい青焼風に・・
青焼といっても食べ物ではありません。複写機のご先祖(ジアゾ式複写)ですね。
現像液をくぐると潜像が青のモノトーンに発色するものです。
その独特の階調と発色に似るよう、モノクロ⇒HDR⇒調色の画像処理をしています。
ポイントは黒が青色に近づくよう調色したところですね。
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石壁に咲く
モノクロを冷暗色に調色する画像処理です。
石壁の堅い質感を引き立てることで、草花の生き物としての滑らかさを引き立てみました。
両者の質感の違い・・いかがでしょう。
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街中のカフェ
90mmの中望遠レンズで撮影しています。
ちょっと遠目でみている感じの写真になりました。
木漏れ日の光が写真に立体感と彩りを与えます。
カフェとその看板の存在感が引き立ちました。
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蒐集カメラその1
私の蒐集カメラその1です。
カメラ本体には押し革でRifaxと銘記されています。
あまり聞かないメーカーです。以前、このメーカーが写真工業(月刊誌)に取り上げられたことがあります。
昔のドイツのメーカーでした。
その雑誌に載っていた同型のカメラはライカ製のエルマーレンズ。このカメラとはレンズが違います。
Rifaxはレンズ分業のカメラメーカーで、レンズ違いの同型カメラをいくつか製造していたのでしょう。
このカメラは蛇腹を折り畳んでカメラ本体に収納します。
日本ではスプリングカメラといいます。
折り畳むと、手のひら程度の携帯可能なサイズになります。
このサイズでも、銀塩フィルムは66判/645判を使うことから中判カメラの部類に入ります。
66判/645判といえば、写真屋さん(写真スタジオ)のカメラが浮かびますから、これは小さいです。
こちらが、このカメラで撮影したポジフィルム。
色が鮮やかで綺麗なのは、白黒フィルムの時代のカメラとしては意外かもしれません。
その理由の一つは、当時のカメラはレンズの構成枚数が3~4枚と少なかった点にあります。
こちらが、このカメラのレンズ正面です。
シャッターはCOMPUR製で定番ですね。
レンズは、Xenar7.5cmf3.5
シュナイダー・クロイツナッハが作ったテッサータイプのレンズになります。
テッサータイプは、3群4枚のレンズ構成。
反射防止コーティングなどの高度な現代技術がない時代ですが、このレンズ枚数ならフレアの影響が少ない。フレアが少なければ、結像の色は濃くなります。
テッサータイプのレンズは、本家であるカール・ツァイス社が1902年に開発し、その発明者個人(技術者)が特許をとっています。
その方は、テッサーの特許で大金持ちになったとききます。職務発明がなかった時代ですね。
テッサーレンズは、鷹の目といわれるぐらい鮮鋭なレンズで、沢山のレンズ会社がその後を追いかけたようです。
シュナイダー社のXenarレンズもその一つですね。
シュナイダー社の面白いところは、製造したレンズの番号を創業当時からちゃんと管理している点です。
シュナイダー社は、ネットでその情報を公開しています。
ですから、私のカメラ(正確にはレンズ)も、そのレンズの製造番号でいつ製造されたか分かります。
調べてみると、1936年頃になります。
1936年のドイツ製カメラとすると、時代はナチス政権によるベルリンオリンピックの頃。
このカメラの昔の持ち主は、そんな動乱の時代の光を写していたのでしょう。
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